東東京 East Tokyo Survey

2012年は東東京の時代

Posts Tagged ‘芭蕉

亀島橋をブラタモる

leave a comment »

八丁堀は亀島橋の歴史散歩です(map)。全部だいたい一カ所にあるのですぐ終わります。

亀島橋

菊の花咲くや石屋の石の間
八丁堀は墨田川の水運を生かして石材屋さんがいっぱいあったそうです。石碑の句は元禄(1693)六年、芭蕉50歳の作。1年後には大阪で亡くなります。

石碑

立て札

写楽と忠敬
伊能忠敬は1814年に住み慣れた深川から八丁堀にお引っ越し。地図作りの旅を初めて14年、この地に引っ越してからも地図三昧の日々を過ごし4年後に亡くなります。
謎の多い写楽はこの看板によれば実の名を斎藤十郎兵衛、阿波藩に使え1820年に亡くなったそうです。
芭蕉の時代と写楽、忠敬の時代はおよそ100年の開きがあるわけですね。

写楽と忠敬

写楽=斎藤十郎兵衛説について詳しくはこちら。

湾岸署をオフィスにしていたことで知られる内田洋行のショールーム。事件は現場で(略)のThe Movice
は1998年。

UCHIDA

日本の高さの始まり、霊岸島は亀島橋を渡って徒歩ですぐ。こちらも合わせてどうぞ。

モニュメント

Written by East Tokyo Survey

2011/12/10 at 11:53 pm

カテゴリー: 雑記, 歴史

Tagged with , , , , ,

足立の足立

leave a comment »

22日に足立市場で行われた足立智美さんのコンサート「ぬぉ」は雨天延期も心配されましたが無事開催されました。知ってて来た人半分、なんだかわからないけど来ちゃった人半分といった不思議な客層がブラスバンドの後をついてまわるハーメルンの笛吹き状態、それに脇目もふらずネギ真鍋を作り続ける一団など、一体感と開放感のある良いイベントでした。

魚市場と言えば築地市場ですが、青果も扱うあちらとは違い実は足立は魚専門です。こじんまりとしていますがその分親しみやすいのが魅力。近隣の方を招いて「お魚教室」も開いているそうです。

入り口にはこの地から旅立ったたという松尾「忍者」芭蕉の像があります。
どこかにも書きましたが千住は江戸八百八町の北端にして奥州街道へと向かう宿場町として栄えました。

弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峯幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつまじきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。芭蕉

市場入り口
入り口

ねぎま鍋とトライアングル
ねぎま鍋

奥の細道のひっそり旅立つ感じが全くない
細道

Written by East Tokyo Survey

2011/10/23 at 11:28 pm